沼に囲まれた堅城【館林城】

館林城は、群馬県館林駅よりほど近い場所にあった城跡です。現在もわずかに遺構が残ってます。
館林城は、城下町をすべてを土塁や堀で囲んでいました。

これはいわゆる「総構」ですね。
総構は知っている人も多いと思いますが、「全部ぐるっと囲んじゃおう」的な奴です。守りの面で言うとかなりの強さを誇ります。なんてったて、全て囲んじゃうんですから中で全部完結するんです。例えば「小田原城」なんかは有名ですね。実際に秀吉の攻撃を籠城で耐えていたので、秀吉もかなりの苦戦を強いられたそうです。最終的には石垣山城などの築城などもあって、北条家は終焉を迎えてしまいますが、それでも強固な縄張りが敷かれていたことが分かります。
【関連:小田原城】
戦国時代の築城とされていて、近世になると「榊原康政」が入城したとされています。
その後も、徳川綱吉などの要人が入城するお城となりました。現在の姿になったのは、榊原康政による整備です。
【榊原康政】
徳川四天王の一人。徳川家康に仕えた。
榊原康政は知っている人も多いのではないでしょうか。私も元々詳しく知りませんでしたが、徳川家康に仕えた武将であること程度は知っていました。そんな要人がこの館林にいたのは知るはずがありませんでした。元々は、お城の攻城のために館林に来たわけではなかったので、偶然の出会いだったわけです。この出会いを大切にさらに私も調べてみようと思っています。
さて、そんな館林城ですが現在はあまり遺構が残っていません。本丸跡・三の丸復元土橋門・土塁跡などがわずかに残ってます。しかし、そんな姿とは裏腹に、沼地に建てられたお城ですので素晴らしい姿をしていたのだろうということは想像がつきます。そんなかつての姿を想像しながら今回は巡りました。
館林城までのアクセス

館林城は「館林駅」よりほど近い場所に遺構が残っていて、徒歩で15分ほどの場所にあります。

徒歩でも散策が可能ですが、館林では無料レンタサイクルなどの貸し出しも行っていたので、そちらがおすすめです。私も実際に使用して館林を回らせてもらいました。
レンタサイクルを借りる利点としては、「その他の場所が回りやすい」という点ですね。まあ、当たり前ですが…。周辺には、城を守っていた「城沼」をはじめとして、その他2つの沼があったり、茂林寺という有名なお寺があったりするので、そちらも一緒に回るとさらに楽しい攻城になること間違いなしです。
ということで、館林城の残っている遺構を散策していきます。今回は時間の都合上本丸跡は回れなかったのでご了承ください。
【復元】館林城三の丸土橋門

現在は城跡内に市役所などの建物が立っていました。そんな中にひっそりと遺構が残っています。土橋門や土塁へのルートは地図に記載ました。市役所前の大通りからそれる道の前にこのように立っています。これが目印になると思います。

そして、ここから軽い坂を少し登って向かいうと復元土橋門があります。

横にこのような看板が立っていますので、簡単な概要を知ることができました。平日でしたので、お城目当てで来た人は私だけだったようです。じっくり看板と睨めっこして、吸収できる知識は吸収しておきます。そして、土橋門の手前にわずかに土塁が残っていました。
土塁跡【館林城】

今は埋め立てなどで遺構はあまり残っていない城跡と言えますが、すごくよかったのが、案内や説明がしっかり充実していたことです。城跡巡りには物足りないかもしれませんが、情報込みで行くと十分に回る価値があると思いました。私は今回いけませんでしたが、この先にある「つつじが岡公園」には本丸跡が残っています。

また、他にもつつじが岡公園内の「つつじが岡ふれあいセンター」にも、少しだけ情報収集ができる場所がありました。
つつじが岡ふれあいセンター【情報収集】

かつては、城も沼の中にあったようなのですが、埋め立てなどでその面影はありません。このままで遺構が残っていたら凄く価値のあるお城なのですが残念です。

このように沼地の上にあった城跡や湖の上にあった城跡というのはいくつかありますが、あまりその面影を見ることができない場所が多いです。例えばですが、長野県諏訪市の「高島城」なんかも、浮城と呼ばれた名城ですが、諏訪湖のほとりにあったのも昔の話で、水位の減少や埋め立てで随分と湖から離れてしまっていました。このような事例は、全国にいくつも散見されます。
ただ、仕方のないことなのかもしれませんね…。
ダイジェスト:その他のスポット


茂林寺もすごく良かったのでおすすめです。茂林寺は「分福茶釜」のお寺で、いっぱいの狸に囲まれていました。

このように館林の魅力を感じてみてください。
今回はこれで終わります。ありがとうございました。
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