【高天神を制するものは遠州を制す】高天神城 概要

高天神城は、静岡県掛川市にある山城です。標高132mの鶴翁山(かくおう)に築城されました。山頂には高天神社があります。
このお城は、目まぐるしく領有する城主が変わります。戦国時代を代表する今川家・徳川家・武田家など多くの家によって争われたお城です。
残されている記録によると、最初に入ったのは今川家の福島(くしま)氏だったと言われています。

福島氏というと花倉の乱で今川家を追われた後に、逃れた御子息が「地黄八幡」と恐れられた北条綱成になったと認識していますが…
また、このお城の大きな特徴として挙げられるのは、「一城別郭」という造りです。東峰と西峰に分かれていて、非常に精巧な縄張りが敷かれています。
少し違いますが、似たような仕組みを持ったお城に、浜松にある二俣城と鳥羽山城があります。
一城別郭と別郭一城は、意味合いが異なるようです。一郭別城は、片方が落ちても城として機能するもの。別郭一城は、互いが異なる機能を有する城郭という意味合いらしいです。私は、この2城を訪れるまでは知らなかったです。
【関連:鳥羽山城と二俣城へ】
【高天神を制するものは遠州を制す】と言われるように、この地は非常重要な場所だとされていますね。最終的に勝ち取ったのは徳川方です。よく言われるのが、武田勝頼は、この高天神城を見捨てたことが、家臣の反感を買うようになり、武田家破滅のきかっけとなったなんて言われますね。落城するときは壮絶な結末だったようです…。

武田勝頼は、実際は世間で思われているほど悪い武将ではないと最近は言われていますね。

そんな難攻不落の高天神城を攻城していきます。
高天神城へのアクセス

高天神城までのアクセスは、主に掛川駅からバスでのアクセスです。
私は、関東に住んでいるので、夜行バスで掛川へ向かい、始発のバスで高天神城に向かいました。
「土方」というバス停から歩きました。
また、高天神城の続100名城スタンプは、大東北公民館等場所にあるので気を付けてください。高天神城から2キロほど歩くので注意が必要です。

バス停からしばらく歩き、追手門より登って行きます。
三の丸~本丸【高天神城】


ここからは、細い道を登って行きます。実際に歩くと難攻不落と呼ばれた所以が分かります。細い道を登って行くのにも一苦労なので大変でした。また、通行止めで入れない場所もあったので、気を付ける必要があります。
ただ、私が訪れたのはかなり前なので今は分かりませんが…。
三の丸から道なりに進むと、本丸です。
さらに本丸を抜けると高天神社の周辺に行くことができます。
高天神社周辺【高天神城】

尾白稲荷…徳川家がこの城を落としたときに、白いきつねを見つけてここに祀ったことが由来らしいです。


このように現地で仕入れることができる情報があると嬉しいですね。
このように、井戸や尾白稲荷などが神社の麓にあります。この辺を見終わったら高天神社へ登ります。
登るといってもそこまで距離はありません。

本殿には、攻城記録を付けられるノートやパンフレットが置いてあります。
そして、神社の先には馬場平という場所があります。

この先には、「甚五郎抜け道」というのがあります。
甚五郎抜け道…武田家が落城後に、横田甚五郎が、勝頼に報告するために抜けてった道と言われています。
また、ここからの景色は非常に綺麗で、目下を見渡すことができます。

景色を堪能し終えたら、搦め手に向かって降りて行きながら、遺構を見ます。
~搦め手へ(出口)【高天神城】

かなりはっきりと残っている堀切です。

搦め手方面ではこのような空堀も見ることができます。

大河内幽閉の石風呂…勝頼が高天神城を落としたときに、囚われた大河内源三郎政局が幽閉された場所。再び徳川が落としたときに救出され、恩賞を与えられる

戦国時代の忠誠心はものすごいですね。家康のカリスマ性のおかげでしょうか…

搦め手から出て散策は終了です。高天神城がなぜ難攻不落だったのか。それが理解できました。
素晴らしい城跡です。
高天神城散策終了後には…。
高天神城を散策し終えたら、大東北公民館に向かうことをお勧めします。
続100名城スタンプ以外にも、格安で研究の資料なども購入することができたので、良かったです。
また、バス停も目の前にあるのでそこから掛川城へ向かいました。他にも、家康が高天神城を攻める時に築城した砦などが周辺にいっぱいあるのでお勧めです。私は浜松に行かなくてはならなかったので、掛川城だけお邪魔しました。
静岡西部にはまだまだたくさんの城郭があります。1泊2日でどこまで回れるか…。
【関連:近隣の城郭‐掛川城‐】