田原城(愛知県田原市)

・築城は1480年戸田宗光。戸田氏が治めていた時代に今川家が侵攻し、今川家の城となる。後に徳川家侵攻を経て、江戸時代には三宅氏が長く統治した。田原市のシンボル的存在。
田原城は、渥美半島の入口『三河田原駅』よりほど近い場所にあるお城となります。

渥美半島に行くから寄ってみたいんだけど、
ここはどんなお城?

田原城は『田原藩主三宅氏』の本拠地
として機能していました。
城郭自体は江戸時代に改修された典型的な近世城郭の姿をしています。そのため、遺構が今でもはっきりと残っており、江戸時代の田原を知るにも、お城を知るにも最適な観光スポットと言えるでしょう。あまりメジャーな武将は入場していませんが、それでもみどころたっぷりの田原城を、今回はご紹介します。
【今回の記事の焦点】
・田原城のみどころ
・田原城のアクセス
・田原城までのマップ
田原城までのアクセス

・三河田原駅より徒歩15分。
三河田原駅は豊橋から繋がる『豊橋鉄道渥美線』の終点となります。電車で来る方は少ないかもしれませんが、三河田原駅からは渥美半島端である伊良湖岬までバスが通っていますので、渥美半島の玄関口とも言えるでしょう。

渥美半島に来たら寄りたいね

渥美半島の歴史を知るのにもってこいの場所。
田原城のみどころ①石垣と袖池

田原城最初のみどころは石垣です。
実に立派な石垣が施されていました。車で来ると駐車場から反対側に位置しますので、見るのは最後になるかも。残っている堀はこの辺りだけになっています。配置図を見ると堀はさらに後ろに続いていたそうです。本当は広い敷地をグルっと覆っていたらしいです。
また、現在残る石垣で最も古い石垣がこの桜門跡にある石垣で、この池を袖池と言います。写真からもちらっと見えるかもしれませんが、堀が続いているように見えるでしょう?
実は全く続いていなくて、続いているように見えるだけ。こういう小さな工夫を見ることができます。姫路や名古屋のような立派な天守はないですが、古き良き石垣と堀を実際に見てみてください。
田原城のみどころ②空堀を歩く

車で来た場合、駐車場から最初に見ることができる遺構がこの空堀。木のデッキが空堀の中に通ていますので、これを辿って二の丸、本丸へ向かいます。

実際に空堀を歩けるんだね

実際かなりの迫力がありました

空堀を歩ける城跡はいくつかありますが、お城を兵士気分で歩けるのがいいですね。筆者も本丸へ攻め込む気持ちで歩きました。

本丸跡には巴江神社(はこうじんじゃ)がありました。
田原城は巴江城という別名もあります。
田原城みどころ③田原市博物館

二の丸跡には田原市博物館がありました。この博物館は、筆者的には特におすすめしたいスポット。田原市を知るうえではかかせない、知識の泉です。建物がお城風になっているのも風情がありますね。実際、二の丸には櫓がありました。現在は復元櫓が設置されていて、中には展示があります。
初代城主戸田氏が入るまで郡代は一色氏であった。応仁の乱で出払った後、戸田氏に郡代を譲った。


博物館を推しているけど、何があるの?

ズバリ、渡辺崋山!
時代を江戸時代に進めましょう。田原藩のレジェンドと言えば渡辺崋山。
江戸時代末期、高野長英や江川太郎左衛門と共に開国を訴える。蛮社の獄で殺された渡辺崋山は多様な才能を持つ人物でした。日本史の教科書にも載る有名人。
博物館では渡辺崋山の経歴と実績を学ぶことができました。歴史が好きな方なら名前ぐらいは聞いたころがあるだろう人物です。筆者も日本史を学んでいた日々を思い出しながら、展示を読み込みました。かなりのボリュームがあって歴史好き的には大満足。
ちなみに江川太郎左衛門と言えば、世界遺産の韮山反射炉!
韮山反射炉と言えば、静岡県伊豆の国市にある観光スポット。
同じ東海地方を代表する江川と渡辺崋山彼らの共通項を読み解くと共に、当時の西洋と幕府の対立の経緯を学ぶことができました。配布している資料も非常にボリュームが多いので、実際に行って勉強してみてください。


資料だけでも5枚頂きました
筆者はちょうど数か月前に、韮山反射炉に再訪していたのでタイムリーな情報を仕入れることができました。江戸時代末期は民に寄り添う偉人が多く楽しいですね。大塩平八郎しかり。
終わりに


・田原城には、迫力ある石垣や空堀が残る
・博物館には絶対に寄るべし。
ちなみに博物館は310円の入場料がかかります。筆者が行った日はなぜか無料開放中でしたので、お得に勉強することができました。
渥美半島や東海地方にはまだまだ楽しいスポットが沢山あります。ぜひいろいろ巡って東海マスターになってくださいね。今回はここまで。ありがとうございました。
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