【歴史ファン必見】修善寺温泉(静岡県伊豆市)歴史探訪

寺社仏閣・史跡
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歴史溢れる修善寺の魅力

修善寺
修善寺

・伊豆最古の温泉と呼ばれる温泉地。三島~修善寺間を結ぶ「伊豆箱根鉄道:駿豆線」の終点に位置する。西暦807年に弘法大師が建立してから、絶え間なく人が訪れる大人気観光スポットである。

修善寺温泉は、その長い歴史の中で多くの偉人に愛された地です。中心部にはシンボルである「修善寺」が鎮座していて、ここで多くの歴史を眺めていたのだろうと推測がつきます。時には天下を揺るがす歴史的大事件が起きたり、戦の戦火に飲まれたり、数多の時代を乗り越えて栄える修善寺温泉の魅力を……

「歴史」の観点から掘り下げていこうと思います。

筆者
筆者

修善寺は、鎌倉・室町オタクにはたまらない場所……

筆者は曲がりなりにも歴史が好きで、修善寺は長年憧れていた地でした。特に武士が支配した鎌倉・室町時代は、修善寺周辺に数多くの逸話を残していて、歴史ファンにはたまらない。今回は、かの有名な源氏や北条氏と修善寺の交わりを中心にご紹介します。


北条なすの

東海地方在住。主に東海地方の歴史や自然スポットの魅力を発信中。メインアカではアニメ聖地関連の記事を更新。【お城攻城数70突破・年5回の登山・キャンプや温泉・寺社仏閣までの品揃え】

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【この記事で分かること】
・修善寺温泉の歴史
・修善寺温泉エリアにある史跡スポット・寺院を紹介。


【修善寺】①日枝神社の歴史

日枝神社
日枝神社

・修善寺の鬼門に当たり、弘法大師建立とされている。1868年の神仏分離令で、修善寺から分離された神社。境内には、時代の流れを感じさせる大杉が生え並び、修善寺に訪れる旅人を出迎えている。

始めは修善寺の入口にあります、日枝神社を紹介。

修善寺駅方面から歩いていくと、最初に見えるのがこの日枝神社です。飲食店の並びにひっそりと鳥居が佇んでいるのですが、いざ境内に足を踏み入れると、ここだけ時間がゆっくりと流れているように感じられました。

日枝神社境内
日枝神社境内

意外と奥行きがあり、間隔をあけて大きな杉が旅人を出迎えています。私が訪れたときはかなり雨が降っていたのですが、雄大な緑が私たちを雨から守ってくれました。弘法大師が建立の神社ですから、非常に長い歴史を持っていることが分かります。

中で御朱印を頂けるので、御朱印を集めている方はぜひ!


【頼家ゆかり】信功院跡

信功院跡
信功院跡

そんな日枝神社の境内では、信功院跡というものを発見。

信功院は、源頼朝の弟である「源範頼」が幽閉された場所です。

修善寺はかつてから広大な寺領を持っていたので、8つの子院があったそうです。そのうちの1つが、信功院と言います。現在は見る影もありませんが、かろうじて案内板と庚申塔が残っています。源頼朝が義経を殺害したというお話は、広く知られている所だと思います。同じような目に遭った範頼を知っている方は、かなりの歴史ツウ! 範頼は、鎌倉幕府繁栄のための人柱と言っていいかもしれませんね。

庚申塔…供養のために造立されるもの。


【シンボル】②修善寺の歴史

修善寺
修善寺

・807年に弘法大師によって建立。東国真言宗の拠点として繁栄していた。境内にある「大日如来像」は北条政子が菩提のために作らせたものだと言う。

次は、修善寺温泉のシンボル修善寺です。

始めは真言宗の寺院であった修善寺ですが、現在は曹洞宗の寺院となっています。間の時代は、あの有名な建長寺を建立した蘭渓道隆が来て臨済宗になるなど、修善寺は案外コロコロと宗派を変える浮気者であるのです。少し言い方が悪いかもしれません。時代の波にうまく適応した寺院と呼べますね。

【北条早雲と修善寺】この先、鎌倉時代の話がずっと続いてしまうので、ここで室町時代の小話を一つ。ここ修善寺は、北条政子ではなく、北条早雲(伊勢宗瑞)ともゆかりがあると言われています。北条早雲が、伊豆討ち入りを果たして伊豆一国の大名になった話は、歴史ファンの間では有名かもしれません。修善寺は、鎌倉の北条家以外にも、戦国時代に名を馳せた小田原北条家とも関わりがありました。

戦火に飲まれ、荒廃していた修善寺を復活させたのも北条早雲です。修善寺からしたら「あれ? また北条来たw」という感じでしょう。

筆者
筆者

筆者が北条ファンなので宣伝失礼……

実は、そんな修善寺と北条家の繋がりを証明するモノが、遠い岡山県に残っています。

「なんで岡山に?」

と興味を持ってくれたのであれば、ぜひとも北条五代の歴史を学んでみてください。

【関連:北条早雲と岡山県荏原郷】


【筥湯・独鈷の湯】③修善寺温泉にまつわる歴史

独鈷の湯
独鈷の湯

・弘法大師が生み出したとされる温泉。ここから温泉療法が広まったとされている。

お次は修善寺温泉の歴史を少々。

独鈷の湯にまつわる弘法大師の伝承があるのですが、それは現地に行って調べてみてください。弘法大師の優しさ詰まったエピソードになっています。この独鈷の湯ですが、立ち入り禁止です。ですが、お湯は普通に温かい。修善寺と川を眺めながら入る温泉はきっと想像を絶する心地よさがあるのでしょうね……。

【北条早雲と修善寺②】
ここ修善寺温泉は、北条早雲自らが、湯治を兼ねて潜入捜査をしたとされています。

ほんまる猫
ほんまる猫

ちなみに修善寺温泉は伊豆最古の温泉

筥湯
筥湯

鎌倉幕府2代将軍源頼家が殺害された温泉。平成に入って再建された温泉で、横に立つ「仰空楼」は修善寺を愛した文豪、夏目漱石の漢詩にちなんで名づけられた。

修善寺の中心部にあるおすすめの温泉です。


【指月殿・墓等】④源氏と修善寺の歴史

【墓】源範頼と修善寺

頼家の墓
頼家の墓

前述した源範頼のお墓になります。修善寺の中心からは少し離れてしまいますが、有名な「竹林の小怪」を抜けて5分程で到着します。

範頼は義経同様不幸な人生を歩みました。最後は修善寺で亡くなっています。範頼は「頼朝が死んだ」という誤報を聞いて「安心しろ!」と政子さんに言ったことが、頼朝の逆鱗に触れて幽閉されたのです。私は、以前これを知って思わず笑ってしまいました。子孫は能登で暮らしたのだとか。そんな範頼は一ノ谷では大将軍を務めた実力派。

ぜひとも弔いの気持ちで訪れてください。


【墓】源頼家と修善寺

源頼家
源頼家

お次の不幸者は二代将軍源頼家です。頼家のお墓も修善寺にあります。

彼の代で13人の合議制が始まり、幕府の実権を失いました。後の権力者北条時政の策謀で修善寺行き。背景を探ると色々あるのですが、ここで話すと途方もない時間を有するのでパスします。

なんでみんな修善寺行きなんだ……。こんなに落ち着いていて風情ある地域なのにと、現代人の私は思ってしまいますが、当時は違ったのでしょうかね。確かに山間の地なので、幽閉するにはぴったりなのかもしれません。今は電車も道路も通っているからいいですが……。

十三士の墓
十三士の墓

関連して十三士のお墓です。

十三士は頼家の家臣で、謀反を企てて全員死亡したのだとか。頼家のお墓のそばに建てられています。

R.I.P


【指月殿】北条政子と修善寺

指月殿
指月殿

伊豆最古の木造建築。北条政子が頼家の冥福を祈って建立。

最後に紹介するのは、指月殿です。

北条政子さんですが、彼女も伊豆にゆかりがある人物です。近隣の韮山に行くと「北条政子」の産湯があります。北条家(鎌倉)も深い関わりがある地域だということが分かります。

【関連:伊豆と北条家】


今回の修善寺散策マップ


終わりに

修善寺温泉中心部
修善寺温泉中心部

結論:修善寺温泉は、歴史ファンにはたまらない観光スポットである。

いかがでしたでしょうか。今回紹介した修善寺の歴史スポットは、ほんの一部です。知見を深めるたびに良さを見つけられる素晴らしい観光スポットです。

温泉・歴史・自然……

伊豆の良さが全て詰まった修善寺温泉、ぜひ一度訪れてみてください。

今回はここまで。ありがとうございました。

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