二条城(京都府京都市)

【二条城】
・1603年徳川家康によって築城。天皇の住む京都御所の守護と将軍の宿泊所のために築城。日本の転換点1867年に『大政奉還』が行われた場所でもある。現在は世界遺産として多くの観光客を出迎えている【二条城パンフレットより】
今回は京都でも有数の観光地『二条城』に訪れました。

友人とか彼女と行くときにツウぶりたいよなぁ
……って感じのいい豆知識を教えてくれ!

実際に行かないと分からない二条の歴史をお教えします。
日々多くの観光客で溢れているこの観光地もれっきとした城跡です。今回は歴史オタクかつお城オタクである筆者目線で二条城に関する豆知識を紹介しようと思います。知ってるとちょっと得する知識を今回は6つ用意しました。ぜひ実際に遊びに行くときにご活用ください。
【今回の記事で登場する知識】
・大政奉還
・角倉了以
・豊臣秀吉
・織田信長
・現存二の丸御殿
豆知識①大政奉還が行われた二条城

【二条城と大政奉還】
・江戸時代の終焉。1867年、15代将軍徳川慶喜により、預かっていた政権を返されたことで大政奉還が成立した。以降日本は近代化の道を歩んでいくことになる。舞台となったのがこの二条城である。

このぐらいなら知っているな。
確か……教科書にも出てくるし。

大政奉還の舞台は『二条城二の丸御殿』です。
大政奉還は多くの人が知っている日本の歴史の一つです。そしてそれが二条城で行われたことも、日本史を勉強してきた方なら周知の事実でしょう。ちゃんと山川の教科書に掲載されていますからね。
長く続いた江戸時代がこの場所で終わったのです。幾度の飢饉を乗り越えて、それでも人々が小さな幸せを噛みしめていた時代。そして新時代の幕開け。二条城はまさに日本の境目と言える神聖な場所です。終わりを告げた江戸時代に、慶喜は何を思うのか、討幕を掲げた藩士たちは何を思ったのか、200何年ぶりに政権が返ってきた天皇は何を思ったのか。たくさんの人の気持ちを考えると、言葉が溢れてきてしまいそうになります。
まずは序の口。一緒に訪れた友達には、この話を振って日本史レベルを図るのが良いでしょう(笑)。
豆知識②角倉了以と二条城

【二条城と角倉了以】
・二条城の東側に広がる清流園。和の美しさが詰まったこの庭園で使用される岩や建築資材は、京都の豪商角倉家から譲り受けたものである。角倉家と言えば、角倉了以!

ん?……角倉了以? どこかで聞いたような

角倉了以は、高校の日本史では必須の知識ですよ!
角倉家は今日の名家。高校日本史では川の整備で有名な人でもあります。江戸時代前期に日本の河川交通を整えた偉人。主に富士川、高瀬川、保津川を整備しました。今東海地方にいる筆者にとっては富士川が印象深いですが、この富士川は『富士川の戦い』で有名ですね(源平合戦の頃)
まあ、いくら日本史が好きな筆者でも『角倉了以×川』程度の知識しか覚えていなかったため、高校で使用していた日本史ノートを引っ張ってきました。
もし友達に『角倉了以? なんだそれ?』と言われたのなら、『教科書に出てくる偉人だぞ』とマウンティングしましょう。
豆知識③豊臣秀吉と二条城

【二条城と豊臣秀吉】
・二条城の東側に広がる清流園の側に映える一本の桜。そこには秀吉が主宰した『醍醐の花見』で見られた桜のクローンが植えられている。

秀吉かぁ……って築城は1603年だよね?

桜があった醍醐寺との交流の証で植えられています。
何の因果か二条城には天下人が集まっています。まずは3鬼神の1人豊臣秀吉が登場。時代背景的には豊臣秀頼の時代です。というか秀吉は築城の時点で死んでいますが……時代を越えて二条城にゆかりができたみたいです。
とにかく、この桜を見たら「ああ、秀吉が好きだった桜ね!』と豆知識を披露しましょう。
『でも二条城が築城されたころには秀吉はいないんだけどね……』と少し謎を残すのも良いでしょう。
豆知識④織田信長と二条城

【二条城と織田信長】
・織田信長が室町幕府将軍足利義昭を守るために築いた石垣。足利義昭亡き後は解体され安土城にも使用された。つまり、二条城が建つ前にこの地にあった石垣なのである。

これで戦国を代表する3人が揃ったね

二条城には天下人が集まってしまうのかもしれません。
3鬼神の1人織田信長も二条城にゆかりがありました。織田信長は『足利義昭を守る!』と綺麗ごとを吐いて京都に入りますが、結局追放します。それも教科書に掲載されているため知っている人も多いかもしれません。となると、これで足利将軍と徳川将軍も揃ったことになります。
そして確証はないみたいですが、残された石垣は幻の城安土城にも使用されていたとか。非常に夢がある話で、歴史オタクにはたまらないです。
二条城の最奥にありますので、是非寄っていてください。
豆知識⑤日本で4つだけの現存御殿

【現存二の丸御殿】
・江戸時代主に政務を行っていた二の丸御殿。当時のままに残ってるのは、二条城(京都)・掛川城(静岡)・川越城(埼玉)・高知城(高知)の4つとなります。

日本に4つしかないのなら凄く珍しい遺構なんだね。

その通り!
最後は二条城の遺構から。二本にも4つしか残っていない二の丸御殿です。すでに神々しい輝きを放つ建物ですが、日本でも希少であることを考えると、なおさら美しく見えます。
二条城は観光名所としての側面が強いですが、ちゃんとお城なのです。今は天守台しか残っていませんが、かつては天守がそびえ、今も櫓などが残っています。二重の水堀も二条城を要塞化させる大事なポイントです。特に天守台からの眺めは絶景ですので必見です。
二の丸御殿を巡っている時に、さらっと『二の丸は日本に4つしか残っていない』と豆知識を披露しましょう。
終わりに

【二条城の豆知識まとめ】
・大政奉還が行われたのは二条城。
・徳川だけでなく、織田豊臣と関連するスポットがある。
・清流園は角倉家の資材できている。
・日本で4つしかない現存二の丸御殿。

こんだけあれば自慢できそうだよ。
ありがとうございました。

実際に行って確かめてみてください。
ということで二条城の豆知識5選でした。多くの人が訪れる二条城の魅力が少しでも伝われば幸いです。今回はここまで。ありがとうございました。
【関連記事:その他の城跡記事】
コメント